地域コミュニティの崩壊とは(第207回)

防災問題を考えると結局は地域コミュニティをどう維持していくか、どう育てていくかという課題に突き当たる。
大規模災害に対して、初期段階においては常備消防は無力である。
多数の救助要請に応えられるはずもないし、地震などでは道路上にも無数の障害物があるだろう。
すると、どうしても地域で助け合うほかない。
地域コミュニティは言うまでもなく、防犯という観点での『子どもの見守り運動』や高齢者福祉での助け合いにも有効であることに異論はないであろう。
では、それほど人々が必要であり大切だと思っている地域コミュニティがそれでもなお崩壊しつつあるのは何故なのか?
我々はここに思いをはせねば、その議論は片手落ちというものだ。
地域コミュニティが根付いていた時代や地域においては、自分というものを隠しようがなかった。
どこの家の生まれで、学校での成績はこうで・・・といったことが自分は当然として、兄弟、親、さらにその親あたりまでお互いに知っていたし知られていた。
そういう社会にあっては行動の一つ一つが大なり小なり不自由であった。
そういう社会を基本的にNOと言ったのが我々なのである。
もちろん転出転入の活発化で人間関係も希薄となるなど時代環境も劇的に変わったのだが、それらを差し引いたとしても自分を知られたくない、匿名社会がより望ましいと感じている人が多いからこそ地域コミュニティが壊れていくのだと思う。
おそらくこれに歯止めをかけるものは、結局は『定住化』 だと思う。
高齢社会は定住化の方向にあるとすれば、地域コミュニティは復活するだろう。
そして、その場合は昔のような不自由さを我慢しなければならない。
そしてその方向を望んだ場合でも、コミュニティが崩壊したときよりも何倍もの時間を要することは覚悟しなければならない。