忘れられた地震、忘れられた津波

終戦を挟んだ昭和19年、21年に大地震がありました。
終戦という出来事を挟んだことから忘れられた災害となっています。
その昭和19年12月7日午後1時35分49.8秒、志摩半島の南南西約20キロ地点を震央とする東南海地震は発生しました。
尾鷲測候所の観測値によれば、マグニチュード8.0、震度5、震源の深さは海底0~30キロ、19分10.2秒揺れが続いたと記録されています。
このほど津波タワーを視察した大紀町錦地区では、その際6.5メートルの津波に襲われ、流出家屋447戸、半壊浸水家屋235戸、船舶被害101隻、死者64人の大被害を出しました。
太平洋戦争末期にこのような巨大津波に襲われた人たちはどれほどの辛酸を味わったかと思います。
大紀町の町長は東南海地震の津波被災者でもあり、津波タワーを建てたと伺いました。
町の予算規模から見れば決して小さな金額ではありませんが、町是に「命が一番大切」ということをうたっている由縁だと思いました。